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東北二十五勝"七ツ森"詩歌・歌謡集

2006.9.5.薄暮、村田誠一郎撮影
和歌、鶴ケ峰山御田遊記黒川七つ森田植歌奥道中歌江戸道中往来黒川郡三拾三所巡禮御詠歌黒川願人節お立ち酒大和町かぞえ歌鶴巣音頭鶴巣節鶴巣小学校校歌鶴巣中学校校歌鶴巣中学校応援歌黒川高等学校校歌


和歌

山の名を問へは日あしも七つもり 宿とらはやと急く旅人 読人しらす

人ならははらからなれや 並み立てる七ツ森てふ山のすかたは 保田光則

ツ森よし小よしれ立てるの谷間の想郷かな 澤田 諭(紙背人)

奥州黒川郡宮城郡惣鎮守古代一の宮鶴峰三社大明神鶴ケ峰山御田遊記(抜粋) 作者不定(1924大正13年黒川郡教育会編纂『黒川郡誌』より)

黒川の七ツ森は 扨ても見よい森かな
かすみかゝりきりかゝり 扨ても見よい森かな

黒川七つ森田植歌(抜粋) 作者不定(1924大正13年黒川郡教育会編纂『黒川郡誌』より)

せんだいくろかわの七つ森 さてもみよい森かな
 (やんじろう)苗打った 代掻へた 苗と申せば とうしも苗 投げればシヤンと立つ如く 植えればすぐに黒葉さす
それもそうそう 仕度よくんば植え始められ候
(早乙女)やんじろうどん 駒を早めて代掻かさんせ
 明治初年頃から中期にかけて田植踊りと称するものと田植狂言と言う芝居があったらしい。田植踊、黒川七つ森田植歌と称し、下草のみではなく本郡一円に流行したらしい。やんじろうと称する二人の少年と笠をかぶる早乙女三人或は四人の少女で舞うのである。横笛により拍子をとり其の歌詞優長自ら特殊の郷風あり、其の歌詞数多くいずれも古代めきたるものあり。(若生毅『下草郷土誌』下草契約講)

奥道中歌 作者不詳(1819文政2年、国分町伊勢屋半右衛門記録)

国分の町よりここへ七北田よ 富谷茶のんで味は吉岡
寒いとて焚かれぬものは三本木 雪の古川荒谷冷たや
思ひきり日は高清水宿取りの 杖築館て道急ぐとは
あれ宮野沢辺の蛍草むらに 鳴く鈴虫の声は金成
噂する人くせ有壁に耳 口の開け閉て一の関なり
山の目で酒飲んだ故前沢を 遂水沢と通る旅先
今日の日も早入相の金ヶ崎 旅の疲れを相去の関
東路を国のつつみと鬼柳 緑つきせむ千代の齢を
紅の色争ふや花巻の 石鳥谷よりも見ゆる山畑
時鳥声はり上げて郡山 卯の花咲けるはなの盛岡
抜柿の渋民あれど沼宮内 宿へ土産はこれが一戸
梅が香に風の福岡打こえて 春の眺めはせん金田市
三の戸をたち行く旅の麻水や 五の戸に過ぎて伝方寺宿
七の戸やけふの細布細からぬ 広い野辺地に人の小湊
旅先春の野内に一夜ねむ 薫に交る草の青森
降る雨に流す桐油の油川 日和になるは飛島あさてか
掬む酒の左関とて旅人の よい中沢に泊まる相宿
咲き初むる花の蟹田も長閑さに 野田かと思ふ春の平舘
昔より今別なれや三馬屋の 往来賑ふ人を松前

江戸道中往来 作者不詳(1816文化13年記録)

長町や中田の馬を増田まで もの岩沼に槻の木の土手
船迫こひしき人に大河原 かわらぬいろをちぎる金ヶ瀬
宮たちはさも白石の鐙越 犀川なれど越河の席
とをせ馬子貝田ときけど藤田まで 桑折もかろし瀬の上もよし
福島は名どころなりけり根子町を 若宮なれどぢゞがたくやど
濁さけ八丁の目は二本柳 油井立れども足はよろよろ
二本松に杉田るものは本宮の 女の唄の声は高倉
けふの日も日和田と聞ばふるゆきの かぜ福原に手も郡山
小原田てふかす酒めし日出の山 その笹川を飲めば須賀川
笠石くきなれしすねに久来石 すえは矢吹にはやひ大和久
われかゝにませをふませて大田河 小田川やゝもだゐて根田とは
白川をよぶねてゆけば白坂や 芦野もくらく越堀のしゅく
鍋掛てかんするさけに大田原 のむやまき絵の花の作山
おもひきややれ菅笠を喜連川 氏家よしある人のあとゝは
白沢や御先は何所を宇津の宮 雀の宮もしとゝ立道
石橋ではさみきられぬ小金井も くひゝゝ行ば芋辛のしゅく
小山さり侭田そたちの野水やらう 古河しこそうな馬の追振
けふの日も中田でひるを栗橋や 幸手杉戸ときけば御泊
粕壁ときくもかゐなきかたくちに にごり酒とて笊で越谷
草賀もし千住のちかひあさからぬ 浅草川のすえは深川

黒川郡三拾三所巡禮御詠歌 作者不詳(「黒川郡教育会編纂『黒川郡誌』1924大正13年」より)

  一番 吉岡熊野堂     みくまのをこゝにうつしてよしをかや みやまおもてはふだらくににて
  二番 吉田村行澤     くわうだいのじひにうるはぬものぞなき おしなめざわのむしもうろこも
  三番 宮床村幻樹軒    あるかなきよのこのもとのかりすまひ いろかにこめてゝこゝろとむなよ
  四番 宮床村松巌寺    まついわをてらたてそめしおしえには たいしたいひは極楽のたね
  五番 宮床信樂寺     まこと願ふ人しあらはやゑとゑんり なにへたつらんおなしはつ
〔ち〕すは
  六番 宮床なには     よしあしをすてゝこゝろにおかされは なにはにつけてことのはもなし
  七番 吉田たちわ     たちわかれめくりあふよの
ざた〔さだ〕めなき よのなからひはゆめうつゝにて
  八番 吉田の八志田    くもりなきこゝろのそらにすむ月は やしたのみつにかけうつるなり
  九番 吉田升澤      さかなきにそれとしんによのなみたゝは つひにまよひのみかさ升澤
  十番 大瓜竹の森     うきふしにこゝろとむなよ竹のもの
〔り〕 葉ことゝゝにおくつゆのみそ
 十一番 大瓜五輪屋敷    しき空とさとれはなにかよの中に 五りん五たいのおとつれもなし
 十二番 大瓜正覺寺     正覺をとりたかはてな圓通の かとひらくるは滋眼視衆生
 十三番 同またらがい    もろゝゝをまたらならすにあまねくも すくはてなにかほかへもらさし
 十四番 吉岡中興寺     ちうこうのむねをいたくはとやかくに ねんりよのおこるみなもとをみよ
 十五番 同安樂院      あんらくやくせいのふねにのりぬれは しんによのうみになみ風もなし
 十六番 大衡古館      涼しさは家宅を出てゝ知られける とし古館の月をなかめて
 十七番 同昌源寺      結縁に今こそめくりあふひらや みのりをしたふ人のやさしさ
 十八番 駒場雲泉寺     みちしわにあたるこまやはおちこちの はかまてすくふ慈悲の正観
 十九番 奥田の中里     ほんぶんのおくのでんちのうねゝゝに ぼたいのたねをおろせ中里
 二十番 吉岡天皇寺     あまてらすわかおほきみのみちあらん 限りはのりのにはもさかえん
二十一番 報恩寺       よしあしをもらさてすくふぐわんなれは あゆみをはこふ報恩の寺
二十二番 三ヶ内出ばり屋敷  こゝろにはくもりなけれはおのつから やみちをてらすゆみはりの月
二十三番 大松澤下ノ町観音寺 佛縁にあふまつ澤やのりの道 たゝ一筋にたのむ慈眼を
二十四番 大平一ツ山     ふるさとにかへりてよもをなかむれば いつくもおなし一ツ山さと
二十五番 太田のうき橋    もろともにゆめのうきはしわたれとも 願はおなしはすのうてなよ
二十六番 鳥屋村玉泉寺    おのつからきよきこゝろにすむ月は たまはいつみのかけうつるなり
二十七番 富谷湯船寺     くわくとふもふけはいつみとそのままに 唯はてしなきみちとしるへし
二十八番 同觀藏寺      くわんすれはうきよのほかになにもなし けそうせかいもみたの浄土も
二十九番 同きよ水      かせなくはなみよるへしやたに川に わたれはすゝしきよ水の月
 三十番 一ノ關長樂寺    煩悩のくもはれてゆく一ノ關 まして眞如の月をなかめて
三十一番 二ノ關の袋     くにゝゝのせきもゆたかにいとたけの はやしもたへぬ川なみのおと
三十二番 本町(下草)の黒川坂 つゆしもや草の枕もいとひなく みのりをしたふ黒川のさか
三十三番 檜和田觀音     けちゑんのねかふ功徳のありかたや ひわたのさくらみるにつけても
三十四番 舞野放光院     おんがくのしらへなけれと舞野村 くわんきりやしのおほせあふけは
         同     いまゝてはおやとたのみしおゆつりを まひのゝにはにぬきてをさむる

黒川願人節 作者不詳

さてもみごとな黒川の名所かや  一町九か村ある中で
女のよいのは吉田村 町で繁盛吉岡や
次には富谷の新町か 熊谷小野か宮床か
七つの薬師に願かけて 沖を遥かに眺むれば
一、二の関や三の関 過ぐればすぐに四斗田村
日はまだ高田で舞野かや
尚も奥田と訪ぬれば 心細くも蒜袋
大森山に日は落ちて ここに一日大瓜村
明くれば山越え大沢田 八合田町に一休み
道を急げば入合の 天皇寺の暮れの鐘
七つ森を右に見て 虚空蔵菩薩に願いかけ
月の明かりも細々と 朝日は穀田で明石よ
西は成田か今泉 石を積んだる大亀や
大童よりて幕柳 そろそろ太田に小鶴沢
山田の乙女に道とわば 東は成田か川内か
大谷中村鶉崎 今は土橋大平
砂金の沢を横に見て 北目大崎鳥屋とかや
黒川神社の仁王さん お子さん悪魔祓えと拝みます
城で名高い下草よ 鶴巣の館を見上ぐれば
日は落合の相川よ 報恩寺の暮れの鐘
諸行無常と檜和田村 姫宮神社に願いかけ
明くればここは三ヶ内 誓いも固い石原よ
大松沢の流れくる ここに粕川下り松
丸山長崎通り抜け 羽生山崎味明とか
二度と来るなよ さんさ不来内に
 「宮城願人節」は、江戸時代の中末期、願人坊主という門付けの物乞い坊主が鉦をたたきながら諸国を唄い歩いた音曲であると言われています。渡辺波光著「宮城県民謡誌」によれば、がんにん節は、がんにんとも呼ぶ、仙台市や宮城・黒川・登米など郡部に残っている珍しい唄である。がんにんは、漢字にすれば願人で、江戸時代に代参や代垢離(だいごり)を仕事とした乞食坊主を願人坊主といった。人に代わって社寺に参詣するのが代参、人に代わって冷水を浴び、体を清めるために、垢離(こり)をとるのが代垢離という。
 奥州ナ 仙台伊達様の城下ネ 名所道中で言うたなら 朝日に輝く 青葉城(ア ツイトー ツイトー)
 ふもとを流るる 広瀬川 榴ヶ岡へ 桜見に(ア ツイトー ツイトー)
 宮城野原の 萩の露 忠義は政岡 千松よ(ア ツイトー ツイトー)
 角界じゃ谷風 待乳山  一寸離れて 蒙古の碑(ア ツイトー ツイトー)
 鴻の館から 多賀城碑 野田の玉川 後にして (ア ツイトー ツイトー)
 末の松山 波こさじ 塩釜様は 一の宮(ア ツイトー ツイトー)
 昇るきざはし いや高く 日本三景 松島や (ア ツイトー ツイトー)
 五大堂やら 瑞巌寺 大島 小島や 仁王島 (ア ツイトー ツイ トー)
 千賀の浦風 はらませて 島がかくれ行く 真帆片帆(ア ツイトー ツイトー)
 かなたはるかに 金華山 千鳥ナ鴎がアレサ 舞い遊ぶネ(アリャ リャン リャンノ  コレワノ セトコヤレ サンノセー)

(「沖津省己の民謡ブログ」)

お立ち酒 作者不詳(宮城県黒川郡大和町宮床発祥) お立ち酒発祥の地

(一)
お前お立ちか お名残り惜しい
名ごり情けの くくみ酒

(二)
今日のめでたい 花嫁すがた
親も見とれて うれし泣き

(三)
目出度嬉しや 思うこと叶うた
末は鶴亀 五葉の松

(四)
またも来るから 身を大切に
流行風邪など ひかぬよに

鶴巣音頭(1953年鶴巣青年団制定) 原 千秋作詞/佐々木 章作曲)

(一)
ハァー おらが鶴巣はよ 豊かな村さ
七つ森から吹くそよ風に 耕地千畳見渡す限り サテ
金波銀波の穂波がゆれて ゆれる穂波に朝日が映えるよ

(二)
ハァー おらが鶴巣はよ 正しい村さ
昔名高い黒川公の 音に聞こえた黒川城下 サテ
北目大崎軒並続き 村にそびゆる火の見の櫓よ

(三)
ハァー おらが鶴巣はよ 楽しい村さ
向かい下草こちらは大崎 仲を取り持つ黒川橋にゃ サテ
厚い人情のなさけがしみて 星が流れる流れに浮いてよ

(四)
ハァー おらが鶴巣はよ 明るい村さ
夏も涼しい北国育ち 遠く船形雪いただいて サテ
今日も通るよ県道筋を 松島行きの流線バスがよ

鶴巣節(三池炭坑節替歌、正調鶴巣弁で唄うこと) 千坂一郎作詞(2000年)/〔 〕内澤田 諭補筆

(一)
あなたは一体全体 どこの人〔どこから北目〕 ヨイヨイ
髪は黒川 膚(はだ)鶴巣
太田福ホッペだが 気は大平
おへそ下草 別所大崎 サノヨイヨイ

(二)
鳥屋かく砂金沢 あったけど ヨイヨイ
俺の浮気は まだ山田
アンタのお裾を 幕柳
手に手を取って 小鶴沢 サノヨイヨイ

〔(三) 
石ノ沢風 清水谷(すずのや)に ヨイヨイ
七ツ森立ち 西川や
黒川坂なを 鶴巣館(つるすだて)
お薬師様まで 仁王様 サノヨイヨイ〕

大和町かぞえ歌 鶴田しを作詞(宮城県黒川郡大和町『広報たいわ』2009年10月号)

一つとや 姫宮神社の初詣 破魔矢の鈴に日本晴れ 日本晴れ
二つとや 船形山に朝日映え 家来のような七ツ森 七ツ森
三つとや 宮床伊達家のゆかりの地 阿佐緒の家の白い壁 白い壁
四つとや 吉田川の名所は南川 ダム湖に影(うつ)る山桜 山桜
五つとや 五つの町村手をつなぎ 健康友和の大和町 大和町
六つとや むかし名高い鶴巣館 豊かに稔るひとめぼれ ひとめぼれ
七つとや 夏の暑さのせみしぐれ まほろばまつりのカキ氷 カキ氷
八つとや やっぱり吉岡島田飴 花嫁行列町の華 町の華
九つとや 黒川郡の大和町 住めば都で最高だ 最高だ
十とや トンネルくぐって新幹線 観光バスは縦貫道 縦貫道

宮城県黒川郡大和町立鶴巣小学校校歌(1873明治6年北目大崎小学校開校) 山本 正作詞/熊田為宏作曲

(一)
輝くひとみ すこやかに
船形山に 雲映えて
鶴巣の郷の 朝ぼらけ
生命幸ある この郷の
空に明るい 雲は飛ぶ

(二)
たわまぬ力 いそしみに
のび行く生命 たくましく
夢ゆたかなる 山や川
学びの道の 行き帰り
みのりゆたかな 風そよぐ

(三)
若草香る 西川の
水清らなる 岸近く
学ぶ六年の 春と秋
七つの森の 空高く
ひろいはるかな 夢を呼ぶ

宮城県黒川郡大和町立鶴巣中学校校歌(1947.4.18開校~2007.3.31閉校) 扇畑忠雄作詞/福井文彦作曲

 (一)
真澄の空に雪映ゆる 船形山の朝ぼらけ
風と光のいさぎよく 学びの日々を営みて
仰ぐ希望の永久なるしるし おおらかに吾らは立たん

(二)
せせらぎ冴えて西川の 流るる岸辺さ緑に
朝と夕のかぐわしく いそしむ日々を楽しみて
深きまことの永久なるしるし 清らかに吾らは生きん

(三)
高きに登り見はるかす 鶴巣の里の静けさに
夢と憩の安らけく 努むる日々をいたわりて
愛の心の永久なるしるし すこやかに吾ら歩まん

宮城県黒川郡大和町立鶴巣中学校応援歌(宮城農学校応援歌替歌) 笹川清敏翻案

(一)
勝って勝って勝って勝って 勝ちまくれ

勝つには遠慮が要るものか
黒川神社の神主が

お神籤引いて言うことにゃ
きっと鶴中が勝ちまする

ソリャ飛ばせー カッ飛ばせー

(二)
ちょっこらちょっとご覧よ すまないが
鶴中健児の麗脚は
色こそ黒いが舐めてみろ
味は富山の吊し柿
勝つと決まった 勝ってしまえ
ソリャ飛ばせー カッ飛ばせー

宮城県立黒川高等学校校歌 扇畑忠雄作詞/福井文彦作曲

(一)
さやかに晴るる山幾重 稜線永遠のしずもりに
つどいて三年朝夕の やさしきすがた七つ森
ここに学びて春秋の 生命かぐわしわれらが生命

(二)
ゆく水清き高野原 漲る流れ一すじに
理想は白き激ちなす 先がけゆかん新時代
ここに学びて春秋の 自由尊しわれらが自由

(三)
険しき道も平らけく 携えゆかんすこやかに
母なる土を踏みしめて あこがれ遠き地平線
ここに学びて春秋の 世界うつくしわれらが世界

(四)
真理の光かかぐべし 緑の靡く朝光に
平和の民と生い立ちて 常若のそのわが母校
ここに学びて春秋の 誇りたたえよわれらが誇り

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